将棋の小山怜央さんが奨励会経験無しでプロってことで
・小山怜央の経歴まとめ!
・大学卒業後リコーで就職
・小山怜央の師匠は誰?
結論から言うと
・大学卒業→企業就職→奨励会を経ずにプロ棋士
・三段リーグ編入試験に失敗して一旦はリコーに就職
・北島忠雄7段だよ
小山怜央の経歴まとめ
小山怜央さんが棋士編入試験に合格し、プロ棋士になりましたね!
- 奨励会を経ない棋士第1号
- 岩手県初の棋士第1号
となった小山怜央さんですが、アマチュアの中でも「強豪」として有名だったそう。
どんな経歴の持ち主なんでしょうか?
小山怜央の学歴
まずは、小山怜央さんの学歴について見てみます。
小山怜央さんは、岩手県出身。大学までを岩手県で過ごされました。
将棋をはじめて奨励会不合格まで
小学2年生のとき、将棋を始めたそうです。
きっかけは、ゲームボーイのやりすぎでめまいを起こし、入院してしまったこと。
ゲームボーイの代わりになるものをということで、母親の聖子さんが将棋セットを買ってくれたのだそうです。
ゲームボーイといい将棋といい、没頭するタイプなんだろうね〜
小山怜央さんには4歳年下の弟・真央さんがいますが、母親と弟との3人で日本将棋連盟の釜石支部に通い将棋を習ったものの、今度は腕をすっかりあげてしまった小山怜央さん。
そこで、父親のすすめで小4からはネット将棋を始め、毎日対戦していたそう。
遠征には父親が仕事も調整して付き添い、母親は一緒に将棋を習って、家族で将棋に励んでいたんだとか。
小学6年生から中学を卒業する頃までは、奨励会の合格を目指して、元奨励会員の指導棋士が指導するオンライン将棋教室を受講していたそうです。
地方に住んで奨励会を狙うのは結構なチャレンジャーらしいけど、それでも小山くんは将棋が楽しくて仕方なかったんだって〜。「楽しい」に勝つものはないよね〜。
奨励会6級を受験できるのは、15歳が最後のチャンス。
小山怜央さんは中学3年で受験しますが、残念ながら1次試験で不合格。
悔しい思いはしたものの、そこで腐ることはなく、地元の釜石高校に進学しました。
高校から就職まで
岩手は高校将棋が盛んな県ですが、私立の有名校からお誘いがあったものの、自宅が近い県立釜石高校に進学した小山怜央さん。
高校2年の終わりも近づいた3月に、東日本大震災を経験されています。
当時中学生だった弟さんと父親は無事避難できたものの、母親の聖子さんは自宅ごと津波に流され、何とか救助されたそう。
当の小山怜央さんは、高校にいたため無事でしたが、自宅が流されたことで、幼い頃から手にしてきたトロフィーも、将棋を毎日学んでいたパソコンも、すべて津波にさらわれていまいました。
それから避難所生活が始まったみたいだけど、避難所の体育館にパソコンが置いてあって、それでネット将棋ができたんだって。よかったよね〜
高校3年になって仮設住宅に移ってからも、黙々と将棋の練習を積んでいたそうです。
周囲が受験に躍起になる時期になっても試合に出ていたそうですが、そんな小山さんが進学先に選んだのは、岩手県立大学のソフトウェア情報学部。
当時、岩手県内の国公立大学は、被災者は学費免除で入学できたのだそう。
将棋は続けていたものの、県内の国公立を狙える学力はあったそうで、小山さんが志望した学部は、「センター試験+2次試験は数学だけ」。
数学が得意ということで、狙い通り受験し合格を勝ち取りました。
大学は将棋部もなくて、先輩が尽力して立ち上げてくれたんだってね〜
地方だと周囲に強い相手もいないので、本来なら強豪がひしめく環境に飛び込むのが強くなる近道だそうですが、小山さんは岩手で大学に通いながら、黙々と日々将棋を打ち続けました。
確実に実力をつけ、4年生の時には、アマチュア最高峰タイトルの1つである「アマ名人戦」で優勝。
そのご褒美として羽生名人と体局したそうですが、ボロ負け。
その後、小山さんは就職の道を選ばれました。
小山怜央の経歴〜大学卒業後リコーで就職
小山怜央さんが進んだ就職先は、横浜のリコーの関連会社。
リコーグループの将棋部は、社会人では最強と言われているところ。
大学で専攻していたことを生かし、システムエンジニアを目指していた小山さんに、リコーの将棋部の方から声かけがあったようです。
入社したのが2018年。でも入社3年目にコロナがやってきたんだよね〜
コロナ禍で仕事がリモートワークになったものの、震災のときと同様、腐ることなく将棋を続けていましたが、やはりその中で「プロ棋士になりたい」という思いが強かったそう。
27歳で仕事を辞め、30歳までにプロへの編入試験を受けることを決意し、今回晴れてプロとなられました。
小山怜央の師匠は誰?
そんな小山怜央さんの師匠は、北島忠雄七段です。
小山さんが中学3年生の時、奨励会の試験を受ける際に、両親が探し当てたのが北島忠雄さんだったようです。
小山さんは、以前受けたインタビューで尊敬する人を尋ねられ、こんなふうに応えています。
北島忠雄七段。北島先生には中学生の時からお世話になっています。将棋指しとしてはもちろんですが、謙虚で弟子思いなところを特に尊敬しています。
甲斐将棋教室ブログより
世間一般の評判も温和な方というところに、人柄が現れている北島さん。
自身も奨励会入りからプロまで15年もかかっているということで、小山さんの苦労が理解できているのでしょうね。
小山怜央の経歴まとめ
藤井聡太さんをはじめ、このところの将棋界を見ていると、小山怜央さんの29歳でのプロ棋士合格はかなり遅咲きです。
経歴を振り返ってみると、幼い頃からその才能は見せつつも、それはあくまで「将棋が強い子の1人」。
でも、大好きで楽しくてしょうがない将棋をコツコツ続け、途中は震災にもあい、コロナもくぐり抜けて、なるべくしてなった「プロ」のように思います。
ここぞ!って時の思い切りが大切なんだよね〜
大学4年で休学してまで臨んだ三段リーグでの編入試験では失敗。そして、今回は仕事を辞めてまで臨んだ編入試験。
念じれば叶うものなんですよね。もちろんその裏には人しれない努力があったはず。
これからの小山さんの活躍が楽しみです。