神田伯山さんのお嫁さんが話題ってことで
・神田伯山の嫁・古舘理沙の経歴
・神田伯山と嫁・古舘理沙との馴れ初めは?
について書いていくよ。
結論から言って、
・神田伯山さんは2016年にお嫁さんの古舘理沙さんと結婚してるよ。
・古舘理沙さんが初めて興行を打ったとき、出演した人の1人が神田伯山さんだったんだって。
神田伯山の嫁は古舘理沙
講談師として高い評価を受けている・神田伯山さん。
そんな神田伯山さんが頭が上がらないというのが、お嫁さんの古舘理沙さんです。
2歳年上の姉さん女房。とても聡明そうな方ですね。
どんな方なのか、とても気になります。
古舘理沙は興行師!
古舘理沙さんの職業は「興行師」。
なんかあんまり聞き慣れない職業だね〜。いかにもプロって感じの響きだけど…
興行師とは、その名のとおり、興行を打つ人のこと。
現在、古舘理沙さんは、冬夏株式会社の代表取締役社長を務めています。
仕事の内容としては、神田伯山さんのマネジメントや、YouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」の制作・プロデュースをメインに行っているようです。
古舘理沙の経歴が面白い!
兵庫県西宮市出身の古舘理沙さん。旧姓は川崎理沙さんとおっしゃいます。
学生時代から外国語に興味があった古舘理沙さんは、中学生のときにはフランス語をならい、その後スペイン語、イタリア語と興味を持って、ラテン語にまでその世界は広がっていったそうです。
大学は国際基督教大学。眞子さまが通われて、一躍有名になった大学ですね。
古舘理沙さんの学びにはピッタリの大学です。
大学の後も研究をしたかったんだよね?
西洋古典の研究をするために大学院に進む予定だったそうですが、なんと受験は不合格。
あわてて就活をすることになったそうですが、そうそうすぐに正社員の職はなく、それでもリクルートの営業職として働くことになったと言います。
でもリクルートは半年で退社し、次に興味を持っておもむいたのは出版の世界。
「VOGUE」の編集者を務めていました。
そして、2年ほど編集者を続けていた頃、誘われて行ったのが上野にある鈴本演芸場。
初めて落語を生で聞き、一気に沼にはまり込んだそうです。
おっ、だいぶ神田伯山さんの世界に近づいてきたんじゃない?
落語との初めての出会いが、理沙さんが26歳のとき。
それから4年間、違う出版社に務めはじめ、落語の世界にどっぷりハマって、地方まで追っかけするほどになっていったそう。
それと同時に「会社務めは自分の一生の仕事ではない」とも感じていたという理沙さん。
「落語大好き」「自分の一生の仕事とは?」という2つのことが結びついたのが、落語会のプロデュースだったわけです。
これが「興行師」のスタートだったわけですね。
神田伯山と嫁・古舘理沙との馴れ初めは?
4年間、会社に務めながら落語にハマっていった理沙さんは、なかば勢いもあって独立。
ひとりで
- 会場押さえ
- 落語家のキャスティング
- チケット販売
- 宣伝
とこなす日々。
最初の頃は、食べるのにも困る状態だったそうです。
でも、そんな理沙さんが初めて行った興行に出てくれたのが、神田伯山さんだったそうです。
なんかドラマチックな出会いだね〜
場所はカフェ。キャパは12人という、小さな小さな興行だったようです。
そこから結婚までは5年の月日が経っています。
なんでも、元々編集をやっていた理沙さんに、伯山さんはメディアまわりの相談もしていたそうです。
そのような仕事上の付き合いの中で、お互いの魅力と才能にひかれあったんでしょうね。
神田伯山の嫁・古舘理沙の経歴と馴れ初めのまとめ
講談師・神田伯山さんのお嫁さんは古舘理沙さんと言います。
幼い頃からフランス語、スペイン語、イタリア語と学びながら、国際基督教大学で学び、大学院をめざしたものの受験に失敗。
リクルートの営業職、雑誌の編集という仕事を経て、寄席で「落語」に出会います。
どっぷり落語の魅力にはまり込み、自分の仕事と落語が見事にマッチし、興行師となられました。
大学院に落ちたのも、その後、神田伯山っていう才能に出会えたことを思えば、運命だったのかもねぇ〜
興行師となって初めての寄席に出てくれたのが神田伯山さん。
もちろん、伯山さんの才能があるのは確かですが、理沙さんのサポートあってこその「今日の伯山さんの活躍」のような気がします。
まだまだ講談はメジャーとは言えない演芸です。
でも、これからの夫婦の活躍で、もっと講談は発展していきそうですね。
今後のさらなる活躍に期待しています。