泣きました。それも最初の5分ちょっとで。「泣ける大人アニメ」という前評判は本当のようです。
素人感が少し漂うイラストと「河童」という組み合わせに、あまり期待せず見始めたものの、5分で泣かされ、その後もあっという間にラストまで。「怖い」とか「グロい」とか言われることもあるようですが、それよりも大切なことがたくさんたくさん詰め込まれたお話です。
夏休みに親子で見るのもよし、夏休み前に見て自然に出かけるのもよし。小学生に一人旅をさせるのもコロナ禍でなければ、ぜひぜひさせたい。そんなことを見ていて感じました。
ハラハラ、イライラ、そして泣けてきて、先を見ずにはいられない展開が、いかにも誘導されているようですが、そんな仕掛けよりはるかに勝る内容のよさなんですよね。友情、家族愛、自然の大切さを訴えながらも、今の社会への風刺もたっぷり込められています。
この記事では「河童のクゥと夏休み」のネタバレと感想、そして私たち大人が、河童のクゥに見習うべきポイントについてお話してみます。
河童のクゥと夏休みのレビュー
このお話は、児童作家・木暮正夫さんが書かれた本のアニメ化です。こんなに素敵な作品が出来上がる直前に、木暮さんは亡くなられました。なんだか、そんな偶然もメッセージのように感じるこの物語です。
悲しい別れ
このお話は江戸時代のある夜に始まります。河童の親子は、夜の河原で侍たちが来るのを待っていました。それは、河童たちが住む龍神沼の埋め立て計画を止めてもらうため。
突然の河童の出現に、恐れおののいた侍は、河童とは言え、聞かれてはならない話を聞かれてしまったこともあり、取り乱し、我を忘れて河童の父に刀を振りかざします。
目の前で父親の腕が斬られ、命絶えるさまを見てしまった息子は、必死に逃げようとします。その瞬間地鳴りがし、地震が襲います。必死に逃げる子供の河童は、地割れの中に飲み込まれていくのでした。
ここまでで泣きました。なんでって、子供河童があまりにも無邪気で必死だからです。父の危険を察知し、必死で命乞いをする様も、目の前で父が息絶えるのを現実として受け入れられない様子も、かわいそうとしか言いようがありません。
現代によみがえった河童
この物語のもうひとりの主人公は小学生の康一です。康一はある日、河原で不思議な石を見つけ、家に持ち帰ります。
水をかけ洗ってみると…なんと、そこから河童の子供が生き返ったのです。その泣き声から「クゥ」と名付けられた河童。
もめながらも家族の一員として認められたクゥは段々と回復します。そして話をする中で、江戸時代に生きていたこと、父が侍に斬られたことが判明します。
歩く練習をし、お風呂にも入り、たくさん食べて、段々成長するクゥでしたが、いつまでも世話にはなれないと上原家を出ていこうとします。それは、河童と人間は一緒に暮らせないと父が言っていたから。
心配する康一や父・保雄の引き止めで、もう少し、上原家にとどまることを決めたクゥでしたが、自分の本当の名前を忘れてしまったこと、そして暮らしていた龍神沼が今はもうないことを知らされ、ショックを受けます。
クゥが日々成長する様子は、とにかく可愛いですね。そして、クゥの謙虚で素直な性格が見る人をいやしてくれます。
遠野への旅
雑誌でクゥが見つけた東北の街・遠野に、河童を見つけに行くことになった康一とクゥ。自然豊かな遠野の街でしたが、泊まった宿の座敷わらしに「もう500年ぐらい河童は見ていない」と言われ、またもやクゥは落ち込みます。
何とかクゥを慰めたい康一は、クゥを海に連れて行きます。海の広さに圧倒され、塩水だということにさらに驚くクゥは、笑顔を取り戻しました。
私はこの遠野への旅のシーンが大好きです。一人旅ではないけれど、小学生の康一にとっては、大冒険に違いありません。友人であり家族でもあるクゥの仲間を探すという大きな目的があるからこそ、康一少年は強くなれたんでしょうね。
見つかってしまう河童クゥ
遠野からの帰り道。恐れたことが起きます。マスコミにクゥの写真を撮られてしまったのです。
それからマスコミの取材攻めが始まりました。家を取材陣に囲まれ、家族もクゥのことで様々な影響を受け始めます。
そんな様子を見て申し訳なさでいっぱいのクゥは、テレビに出ることを承諾します。
このあたりは、苦しい場面が続きます。特に、写真を無理やり取られてしまうシーンは、腹立たしさでいっぱいになりますね。余計に、クゥの決断に切なくなりました。
またもや悲しい別れ
テレビに生出演した上原家とクゥでしたが、河童は存在すると唱え続けてきたという民俗学の先生の登場で、大変なことになってしまいます。
その先生が河童が存在する証拠として持ってきた、代々伝わるという「河童の腕」はクゥの父親のものだったのです。
「侍だった先祖が、いたずら者の河童を退治した時に得たもの」と言ったその腕の存在でしたが、それを見たクゥは一気にその時の光景がよみがえります。泣いて怒るクゥにカメラが寄った時、クゥの感情が爆発します。
カメラやスタジオのライトが粉々になり、逃げ出そうとしたクゥをスタッフが取り囲みます。それを助けたのは、上原家の愛犬「オッサン」でした。
クゥを背に乗せたオッサンは街に走り出ます。しかし、逃げても逃げても街は人と車にあふれ、どこまでも人や車が追いかけてきます。
そして、道に飛び出したオッサンは車に引かれてしまうのです。
スタジオのシーンではクゥと同じように怒りが、そしてオッサンが息絶えるシーンでは悲しみが、誰の胸にもこみ上げてくる場面です。
人間界に迷い込んだクゥにやっとできた人間以外の友達オッサン。彼もまた、前の飼い主の元を逃れ、いろんな思いをもって街をさまよっていた時、康一に拾われたのでした。それはまさにクゥと同じ。
でも死の間際、オッサンはこうつぶやきます。
あのまま前の飼い主に飼われていたらよかったかな…
前の飼い主への思いも、そして康一と家族への思いもあり、それが複雑に混じり合った悲しいひと言ですね。
父はクゥを見ていた
逃げたクゥはタワーによじ登ります。高く高く登ったクゥでしたが、やがて力尽き、亡き父にこう語りかけます。
人間のいないとこなんて、ねぇよ。まるで人間の巣だ。
河童なんてどこにもいない。みんな人間にころされた。
父ちゃん、俺どうしたらいい? もうくたびれたよ。
俺も父ちゃんのところに行きてーよ。こっから落っこちからいけるよな。
その時でした。天から一滴のしずくがクゥの顔に落ちます。
そして空はまたたく間に厚い雲に覆われ、大雨が降り出します。
そこに現れたのは、大きな龍でした。空を駆け巡り、やがて龍は天に消えていきます。
雨のおかげで元気を取り戻したクゥは「まだ来るなって言ってるんだね」と父の真意を読み取ります。
クゥが父ちゃんに語りかけるシーンは、涙なしでは見られません。子供なのに、親もそばにいない中で、どれだけ寂しく苦しい思いをしていたのかと思うと、胸が締め付けられます。
ふたつの別れ
クゥの元に一枚のはがきが届いたことで、家を出ていくことを決意したクゥ。その気持ちは固く、家族はクゥを送り出すことにします。
康一が隣町まで出かけ、そこからクゥを荷物として送ることにしましたが、康一にはその前にクゥに会わせたい人がいました。それは、クラスで孤立した少女・菊池さよこでした。
さよこも両親の離婚で転校することになっていたのです。康一がクゥを見つけるきっかけになったのもさよこの存在があったからであり、それを説明すると、クゥはさよこに丁寧にお礼を言います。
そして、隣町のコンビニで荷物としてクゥを預けた康一。クゥを入れた箱がトラックに載せられ、走り出すその後ろを涙を流しながら追いかけ続ける康一でした。
ほのかに恋心を抱く女の子との別れ、そして親友とも家族とも言えるクゥとの別れ。質こそ違うけれど、康一少年には辛い別れがふたつもいっぺんにやってきた夏休み。きっと、人の何倍も成長できた夏でしたね。
クゥの新天地とは?
クゥがやってきたのは沖縄。あのはがきを書いたのは、妖怪のキジムナーだったのです。
テレビでクゥを見ていて、ほっとけないと思っていたという優しいキジムナー。人間もめったにおらず、自然に囲まれた場所でクゥは暮らし始めるのでした。
そしてクゥは天の父にこう報告します。
「父ちゃん、ごめん、俺、人間の友達ができたよ」。
クゥがそう言いながら涙を流すシーンで、この物語は終わります。
レビューのまとめ
夏と共にやってきた江戸時代の河童クゥとの不思議な出会い。話すことすらためらわれていたクラスメイト・さよことのわずかばかりのふれあい。出会いと別れが日本の夏の中でめぐっていく様子を、時にはほっこりと、時には涙で描かれていましたね。
変わるものと変わらないもの
このお話について、Wikipediaで気になる言葉が書いてありました。それは「変わるものと変わらないもの」。
小学生の康一がクゥのことは気にかけながらも、テレビに映ることに興奮し、クゥは康一が変わってしまったように感じます。そのことを話すオッサンもまた、元の飼い主がいじめをきっかけに変わったしまったことで、苦しんできた過去がありました。
人間て、弱さもあるし、楽な方に流されてしまうというのは避けられないもの。業というものでしょうか。それを河童や愛犬の視点から教えられるというのは、何とも厳しいことですが、それを納得してくれているような口ぶりに、少しばかり救われます。
また、江戸時代に生まれたクゥも現代に生まれた康一も、思いやりの心にあふれています。時代が変わっても、子供たちに素直で他人のことを思いやれる心が育っていることは、本当にうれしいことです。
これはやはり親が大きく影響しているのかなと感じます。幼いクゥに、しっかりと生きる術を教えていた父。子供を一から否定せず、きちんと話をしてくれる康一の両親。やはり親の力って偉大ですね。
クゥが教えてくれたこと
上原家を出ていくと決めたクゥ。父の保雄が「遠野の川でクゥはいきいきとしていたんだろ。今の暮らしはクゥにとって自然じゃない」と言います。そしてクゥはこう続けます。
父ちゃんが言ってた。人間は水や地べたを俺たちから奪い、そのうち風や空や神さまの居場所まで自分たちのものにしちまう。それを引き換えに魂をなくしちまうだろうって。おれは人間はそんな化け物みたいな生き物だと思ってただ。
でね。おめえさまたちと暮らして、そんな人間ばっかりじゃねぇってことがわかっただ。ここにいると人間と同じ生き方をするしかねぇ。おれもいずれ死んだら、父ちゃんや母ちゃん、先祖が待っているところへ行く。そん時に俺が河童の生き方を忘れていたら、みんなに合わせる顔がねぇ。
それにこれ以上ここにいると、おめえさまたちと別れるのがつらくなるだ。だから行くだ。
親と暮らせなくても、こんなにいろんなことを考えて話す、健気なクゥの言葉に涙が止まりませんでした。
河童が実在するかどうかは私にはわかりませんが、世の中に起きる、人間にとって不都合なことはみんな、人への戒めなのかもしれません。それを薄々人は気づいていたからこそ、妖怪も河童も存在するかもしれないと、人々は言い伝えてきたのかもしれません。
私たちは生きて当たり前と思ってしまう節がありますが、父や母、そして先祖の存在があってこそ自分の命があること、このことは絶対に忘れてはいけません。
こんなことも河童のクゥに教えられた気がします。
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