村木風海(かずみ)の経歴は?両親と祖父がすごすぎた!

スポンサーリンク

化学者の村木風海(かずみ)さんが話題ってことで、

・村木風海(かずみ)の経歴は?

・村木風海(かずみ)の両親はどんな人?

・村木風海(かずみ)の祖父がすごい!

について書いていくよ。

結論から言うと、

・東大を満期退学して、今は東京医学技術専門学校に進学してるんだよね〜

・一般の人だから詳細は公表してないけど理解ある両親みたいだね〜

・祖父の影響と支援が村木さんの基盤ともいえるよ!

スポンサーリンク

村木風海(かずみ)の経歴は?

菅田将暉さんが惚れる天才化学者ということで、村木風海(かずみ)さんが話題です。

天下の東大に推薦入試で入ったということですが、どんな経歴の持ち主なのでしょうか?

【氏名】村木風海(むらき・かずみ)
【生年月日】2000年8月18日
【出身地】神奈川県相模原市生まれ→山梨県甲斐市育ち
【学歴】山梨大学付属小学校→北杜市立甲陵中学校・高等学校→東京大学工学部→東京医学技術専門学校(今はココ)

山梨では、公立の小学校に通っていたそうですがうまくなじめず、小学校4年生から山梨大学附属小学校に転校されたそう。

そして、地元でも有名な進学校である甲陵に進まれています。

こちらは、スーパーサイエンスハイスクールにも指定されている学校ということで、村木さんが学ぶにはピッタリの学校だったのでしょうね。

そこから、東京大学理科一類に推薦入試で進学。

元々、東大に行きたい!ってわけではなかったみたいだけど、村木さんが研究したいことを考えたときに、最終的に残ったのが東大だったんだって。

東大に行こうと決めたのが遅かったので、普通の試験ではダメだということで、推薦入試を選択。

見事合格して、東大に進んだわけですが、自分がやりたかった「地球の温暖化を食い止める」というミッションを迅速に進めるために「満期退学」という道を選ばれました。

聞き慣れない制度ですが、これは

  • 大学に4年間以上在籍
  • 124単位以上履修済み
  • 論文を執筆済み
  • 面接&筆記試験に合格

ということをクリアーすれば、大学を卒業していなくても、国が「学士号」をあげます!という制度だそう。

これで満期退学を決めて、9月に研究室をやめることを宣言してからは、自分の研究に没頭できたんだって。

あと半年待てば卒業できたのに…と思ってしまいますが、地球温暖化までのリミットを考えると、この半年でさえかなりもったいない期間だったと言います。

そして、現在は、東京医学技術専門学校臨床検査技師科II部に進み、平日の夜間に通学し、昼間は働くという生活のようです。

この学校を選んだのも、人の健康寿命をのばす研究をするためなんだとか。

ハードな生活ですが、その視線はかなり前を向いていますよね!

村木風海(かずみ)の両親はどんな人?

天才的な匂いがプンプンする村木風海さんですが、そんな子供が育つ環境がとても気になります。

ご両親はどんな方なのでしょうか?

残念ながら、ご両親は一般の方ですので個人的な情報は出ていません。

しかし、

  • 地元山梨の小学校になじめない村木さんに対し、その科学への興味の芽をつまないように、小学3年から東京のサイエンス教室に通わせてくれた。
  • 小学4年からは転校させてくれた。
  • 高校生のとき、研究に費用がかかるのを近くで見ていた母親が「異能vation」制度を見つけ勧めてくれた。

と、かなり村木さんに寄り添ってくれるご両親だったことが伺えます。

以前、あるインタビューの中で、村木さんがこう答えています。

お父さんやお母さんは、子どもが何歳であってもひとりの人間として対等に見てあげてほしいです。

これは、村木さんが幼い頃からひとりの人間としてご両親に対等に扱ってもらったことの現れだと思います。

いつも村木さんのことを認めてくれる家族の支えがあってこそ、今の村木さんがいるんでしょうね。

村木風海(かずみ)の祖父がすごい!

ご両親もすばらしい方のようですが、村木風海さんの人生の転機になったのは祖父の存在が欠かせませんでした。

というのも、村木さんが小学4年生の時、物理学者であるスティーブン・ホーキング博士の冒険小説「宇宙への秘密の鍵」をプレゼントしてくれたんだそうです。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

宇宙への秘密の鍵 [ ルーシー・ホーキング ]
価格:2,090円(税込、送料無料) (2023/5/6時点)


この小説の中に書かれていた火星に心を奪われた村木さんは、いつか火星に住もうと心に決めます。

それから火星に移り住むための研究を始め、今に至るということで、おじいさんの存在がなければ今の村木さんはいなかったかもしれませんね。

小学生ながら、自宅にラボを作り、二酸化炭素を減らす研究を続けた村木さんは、高校2年生のときに二酸化炭素回収マシン「ひやっしー」の構造を思いついたそうです。

それから何とか資金の調達もでき、いざ作る段階になると、毎日午後、祖父とふたりで「ひやっしー」の製作に励んだそうです。

その仕組もわからないと手伝いなんてできないだろうから、おじいさんも頭のいい人なんだね〜

2021年に書いた著書「火星に住むつもりです 二酸化炭素が地球を救う」では、この年の9月13日がおじいさんの80歳の誕生日だったそう。


闘病中ということもあり、それまでの恩返しがしたいからと、何とか誕生日に間に合わせることができたんだとか。

一生懸命にがんばる孫の手伝いができるなんて、こんな嬉しいことはないよね〜。

ご両親のすばらしさは、このおじいさんあってこそなんでしょうね。

つくづく、恵まれた環境のもとで村木さんの才能が育まれたんだなぁと実感します。

村木風海(かずみ)の経歴と家族のまとめ

天才化学者と言われる、村木風海さん。

その「風海」という名前は、

風のように爽やかで、海のように心の広い優しい人になってほしい

村木風海インスタグラムより

という思いを込めて、ご両親がつけられたそうです。

村木さんの個性や思いを尊重して支えてくれた両親や祖父あってこその、村木さんの研究なのかもしれませんね。

村木さんの話を聞いてると、火星にもいつか住めそうだし、250年ぐらい生きられそうな気がしてくるよね〜

これからの村木さんの活躍がますます楽しみです!

タイトルとURLをコピーしました