薗浦(そのうら)健太郎の経歴・学歴は?妻と家族についても

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衆議院議員の薗浦健太郎さんが話題ってことで、

・薗浦(そのうら)健太郎の経歴・学歴は?

・薗浦(そのうら)健太郎の妻と家族

について書いていくよ。

結論から言うと、

・東大を卒業して、読売新聞社経由の政治家だよ

・奥さんと長男が1人いるみたい

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薗浦(そのうら)健太郎の経歴・学歴は?

薗浦(そのうら)健太郎さんは、香川県高松市に生まれました。

父親が政治家というわけではなく、町工場を経営されていたようです。

【氏名】薗浦健太郎
【生年月日】1972(昭和47)年6月3日生
【血液型】A型
【本籍・現住所】千葉県市川市

薗浦健太郎の学歴

四国は香川県高松市に生まれた薗浦健太郎さん。

高校は、地元でも進学校として名高い、香川県立高松高校に進学されました。

現在の偏差値は「71」とかなり高く、薗浦健太郎さんが在籍していた頃も成績優秀な生徒さんが通われていたものと思います。

大学は、ストレートで東京大学法学部に進まれています。

高松高校→東大法学部と、全く同じルートなのが、国民民主党の玉木雄一郎さん。

玉木さんは、薗浦健太郎さんに3歳年上なので、高校は入れ違いに入学・卒業されていますが、優秀な人材を輩出している土地のようです。

薗浦健太郎の経歴

東京大学を卒業され、薗浦健太郎さんが就職されたのは、読売新聞社です。

配属されたのは千葉支局。千葉県警の担当になったと言います。

そこから5年間は、千葉支局や市川通信部や千葉県や各市の担当をされていたようです。

高松市出身なのに、なんで千葉を地盤にしてるのかと思ったら、そういうことだったんだね〜。

5年の千葉勤務を経て、東京本社勤務になった薗浦健太郎さん。

配属されたのは、社長室広報部。

当時、読売新聞社の社長を務めていたのは、ナベツネこと、渡辺恒雄さんです。

のちに、薗浦健太郎さんは麻生太郎さんの政策秘書を務めますが、あの麻生さんが

「抜群の信頼。読売ではナベツネの社長室にいたんだぜ」

と言っていたと言いますから、薗浦健太郎さんの優秀ぶりがうかがえます。

泣く子も黙るナベツネの元に配属されること自体、かなりすごいことだよね。

社長室で1年4ヶ月務めた後は、政治部に移動。

首相官邸や厚生労働省を担当しますが、7年数ヶ月務めた読売新聞社を、2003年7月に退社されました。

そして、その年の11月の衆院選に出馬するも落選。

それからは麻生太郎さんのもとで政策秘書として修行を積まれ、2005年、初当選を果たされました。

初当選後も落選があっり、こうやって見ると、若い頃からいろんな経験を積んでる人なんだよね〜。

しかし、2022年11月、政治資金についての問題が発覚し、衆議院議員を辞職、自民党も離党されることになりました。

薗浦(そのうら)健太郎の妻と家族

薗浦健太郎さんには、妻と息子さんが1人います。

SNSもされていますが、ご家庭のことは一切出されないので、情報が驚くほどありません。

選挙の際は、妻の役割というのはかなり重要になりますので、千葉の地元ではしっかりと活動されているんでしょう。

薗浦健太郎さんが現在50歳ということを考えると、息子さんは20代半ばぐらいと言ったところでしょうか。

父親はみずから政治の道を選んだみたいだけど、息子さんはどうなんだろね〜。

世襲議員の方も、非難の声はあるものの、やはり多いもの。

親の姿を幼い頃から見て、同じ職に就きたいというのは、政治家ではなくてもよくあることです。

薗浦健太郎さんの息子さんがどんな方なのか、とても気になるところです。

薗浦(そのうら)健太郎の経歴・学歴と妻・家族についてのまとめ

元衆議院議員の薗浦健太郎さんが、政治資金の問題で有罪が確定されました。

香川県高松市出身で、東京大学に進み、読売新聞社での記者経験を経て、政治の道に自ら進まれたことを考えると、実力も意志もある方でしょうから、その力を日本のために使ってもらえたらと思っていたので、残念です。

記者経験の7年間の中で、一般市民の声は多く聞いてきたはず。

いつもそこに立ち返って、正しい政治家として進んでもらいたいものですが…。

3年間は議員への立候補ができない公民権停止の処分を受けられるので、今後の進退はどうされるのでしょうね。

それでも、まだ50歳。正しい道でのやり直しに期待したいものです。

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