上野裕一郎監督(立教)の妻と子供はアスリート一家!経歴についても

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立教大学の上野裕一郎監督が話題ってことで

・上野裕一郎監督(立教)の妻と子供

・上野裕一郎監督(立教)の経歴!なぜ監督に選ばれた?

について書いていくよ。

結論から言うと、

・上野監督の妻も子供もアスリート一家だよ
・上野監督は長野県佐久市出身で、佐久長聖高校から中央大に進んだんだよ。立教の監督になったのは、すごい偶然だったんだよね〜。

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上野裕一郎監督(立教)の妻と子供

立教大学の上野裕一郎監督には、妻・真衣さんとの間に3人の子供さんがいます。

絵に書いた理想的なアスリート一家ですよ。

上野裕一郎の妻も陸上経験者

上野裕一郎選手の妻・真衣さんはこちらです。

こちらは、長女・愛夏(なな)さんの小学校の卒業式での親子ショット。

今では、愛夏さんは中学1年生なので、約2年前の写真ですね。

真衣さんはとても小柄に見えますが、上野裕一郎監督の身長が183cmなので、150cm台と言ったところでしょうか。

こちらは、今では小2の長男・叶翔(かなと)君が赤ちゃんの時の真衣さんですが、目が印象的ですね。

そんな真衣さんは、三重県四日市市出身。

自身のTwitterのプロフィールにも「大学まで走ってました」と書いていらっしゃるように、地元・三重の神戸(かんべ)高校から名城大学女子駅伝部に進まれたようです。

ネットでは、名城大学が女子駅伝で初優勝した時に1年生だったのでは、という話もありますが、今では大学女子駅伝6連覇をするまでに成長した名城大学。

その礎を作られた時代にがんばっていらっしゃたのかもしれませんね。

まめに名城大学の応援の発信をしてるもんね〜

次女の夢歩(ゆあ)さんが以前書いた絵日記にこんなことが書かれています。

そうなんです。子供は近くで本当によく親を見ているんですよね。

というのも、真衣さんは、今でも走られているようで、子供さんと親子で走る競技などに参加されることもあるようなんです。

時には次女と、時には長男とペアを組んで、いろんな大会に出場されているようですね。

お父さんもお母さんもはやく走れるなんて、子供としては鼻高々だよね〜

上野裕一郎の子供たちもアスリート

上野裕一郎さんには、3人の子供さんがいます。

改めてご紹介すると、

長女:愛夏(なな)さん
次女:夢歩(ゆあ)さん
長男:叶翔(かなと)くん

です。

上野監督と真衣さんが両親だと、運動神経よさそうだね〜

長女の愛夏さんは、中学に入り陸上部に入部。そして、東京都の指定強化選手に選ばれたということで、さすがです!

次女の夢歩さんはサッカーをされているようです。走るのだけはあまりやっていないようですが、それでもこの記録。

すばらしいです…。

長男の叶翔くんも、サッカーをしています。

両親ともにアスリートということで、幼い頃からスポーツには取り組んでいるようですが、決して無理はしていない様子。

真衣さんもこんなツイートをされていました。

「小学生のうちはあまり走らせたくない」というのは、きっと経験から得た考えなんだと思います。

早くから無理な練習を続けて潰れる子供たちも多いですので、やはりアスリートとしてやってきたからこその方針なんでしょうね。

3人の子供さんは、みんな楽しんで陸上やサッカーをやってる様子だよね。スポーツは一生楽しめた方がいいから、すごくいいことだと思うよ〜。

上野裕一郎監督(立教)の経歴

上野裕一郎監督は、長野県の出身です。

【氏名】上野裕一郎
【生年月日】1985年7月29日
【出身地】長野県佐久市
【学歴】岸野小学校、野沢中学校、佐久長聖高校、中央大学
【職歴】エスビー食品→DeNA→立教大駅伝監督

中学は野球少年→高校は日本一

中学時代は軟式野球部に所属していた上野監督。

陸上を真剣に始めたのは、佐久長聖高校に入ってからというから意外ですね。

佐久長聖では、大学駅伝では有名な両角速(もろずみ・はやし)監督を受けられました。

実は、上野監督が中学生のとき、県の駅伝大会で1区4位だったのを見た両角監督が、可能性を感じて勧誘したそうです。

その時のことを、両角監督は、こう語っています。

「フォームはガチャガチャしていたけど、手足が長くてスケールの大きさを感じたので勧誘した。入学前の01年2月、いきなり3000メートルを(中学生トップレベルの)8分台で走った。これは大化けするぞ、と思った」

スポーツ報知より

そうやって入学した上野監督は、3年生のときには、10000mの高校記録を更新し、高校ナンバーワンにまでのぼりつめました。

大学では毎年箱根出場

中央大学に進学された上野監督は、4年間、箱根駅伝にも出場されています。

  • 1年生では、1区を19位。体調不良と故障で不本意な成績でした。
  • 2年生では、3区を3位。風邪と右足人指し指の腱鞘炎もあり、東海大・佐藤悠基選手には追いつかれないながらも、くやしい結果でした。
  • 3年生では、3区区間賞。17位でタスキを受けた後9人をごぼう抜きし8位まで順位を上げました。
  • 4年生では、3区を2位。本番2日前に38度の高熱を出しながら強行出場となりました。

箱根駅伝に大学が出場するだけでも大変なことですが、毎年選手として走っていただけでもかなりの実力です。

なかなか不本意な出来のことも多かったようですが、それだけ調整が難しい競技ということなんですね。

実業団時代

中央大を卒業後、2008年4月にエスビー食品に進まれます。

上野監督に幸いしたのは、中央大の監督を務めていた田幸監督が同じタイミングでエスビー食品の監督に就任したことでした。

2013年には、エスビー食品陸上部が廃部となったことで、受け皿であるDeNA陸上部に移籍ということになりました。こちらでは初代キャプテンを務められたそうです。

総監督は瀬古さんが務めてたんだよね〜

実業団時代は、故障や不調に苦しむことも多かったようですが、それでもふるさと長野を都道府県代表で優勝に導いたり、日本選手権で1500メートルと5000メートルの2種目で優勝もされていた上野監督。

DeNAで選手を続けていた2018年、将来について考えていた頃、立教大学から監督のオファーがあったわけです。

立教大学の監督に就任

立教大学は2024年に創立150年を迎えます。

その年に箱根駅伝に出場するということを目標にかかげ動き出した時、白羽の矢が立ったのが上野裕一郎さんだったわけです。

でも、そのきっかけは本当に偶然。

このエピソード、マジでびっくりだよ!

当時の立教大学・郭洋春総長から、立教大学の駅伝コーチを務めていた大学職員でもある林英明さんが「150周年記念事業として箱根駅伝に出場する」というプロジェクトを聞かされたところから始まります。

そこから、林さんの監督探しが始まりますが、なかなかいい人が見つからず。

困り果てた林さんが相談した相手が、林さんと同じマンションに住んでいた上野監督だったわけです。

当時、上野監督が練習をしていたDeNAの練習場が、林さんのランニングコースにあったこともあり、相談をしたところ、

「それ、僕じゃだめですか?」

との返答だったとか。

そこからの上野監督の快進撃。

偶然って、すごいね〜!

2024年の出場を1年繰り上げて、2023年の出場を果たした立教大学駅伝部。

前回、立教大学が箱根駅伝に出場したのは、1968年のこと。

なんと55年ぶりの出場です。

上野裕一郎という人が、選手としてだけではなく、指導者としての才能もあったことが証明されたわけですね。

上野裕一郎監督(立教)の妻と子供はアスリート一家!経歴についてもまとめ

立教大学の駅伝監督・上野裕一郎さんは妻も名城大学で駅伝をしていた陸上経験者。

3人の子供たちも、両親に似て、運動神経が良さそうなアスリート一家です。

今は一緒に暮らせないみたいだけど、妻の真衣さんのがんばりですごくいい親子関係だよね〜。父親の頑張りは、一緒にいなくても、バッチリ子どもたちに通じてるみたいだよ。

中学までは野球部だった上野監督ですが、その頃から走ることの実力は垣間見えたようで、名将・両角監督からスカウトを受け、その後の陸上人生がスタート。

両角監督いわく、大学に入ってからも佐久長聖高校を訪れては、後輩の指導に当たっていて、選手目線におりて指導をする様子は、まさに指導者にピッタリと感じていたそう。

上野監督がどんな采配をされるか楽しみですね。

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