キッザニアを日本に持ってきた住谷栄之資さんがすごいってことで
・住谷栄之資の経歴がすごい!
・住谷栄之資の嫁や息子は?
について書いていくよ。
結論から言うと、
・キッザニアの他にも、あんな店やこんな店を日本に持ってきた人なんだよね〜
・嫁や息子さんについては語ったことはほとんどないみたい
住谷栄之資の経歴がすごい!
キッザニアを日本に持ってきた住谷栄之資(すみたに・えいのすけ)さん。
定年を迎えた後に起業して、キッザニアを日本に誕生させていますが、調べてみると、それまでの経歴もなかなかすごい方でした。
住谷栄之資のプロフィール
住谷栄之資さんのプロフィールはこんな感じです。
住谷栄之資は大阪育ち
戦争真っ只中の1943年、和歌山県田辺市で生まれた住谷さん。
何でも、母方の実家が漁師をしていたそうですが、小学校からは大阪に移り住まれます。
戦後の大阪で、のびのびと暮らしていた住谷さんですが、中学では箕面中学でサッカーに励んでいたそうです。
しかし、時代背景もあり子供が増えたこともあってか、中学が2つにわかれたことを機に、サッカー仲間が激減。
中学3年生では、水泳部に変わり、この頃から住谷さんの人生がつながり始めます。
「水球」がすべてのきっかけ!
高校は、地元・大阪の池田高校に進みますが、なんと池田高校には「水泳部」がありませんでした。
あったのは「水球部」。
この水球部が、のちのち住谷さんの人生のいろんなきっかけになっていきます。
水球部に入った住谷さんは、水球に打ち込み、監督から「慶應義塾大学」に行くことを強く勧められます。
特に、東京へのあこがれや、ましてや慶應へのあこがれがあったわけではなく、水球は好きだし、学内に宿舎もあるようだからまあいいか、という気持ちで進学したそうです。
大学時代は、水球で全日本選手にも選ばれるほどの腕前だったっていうから、すごいよね〜
水球漬けの4年間を過ごした住谷さんは、卒業後「藤田観光」に就職されます。
藤田観光と言えば、
- 東京の椿山荘
- 大阪の太閤園
- ワシントンホテル
などを運営している大手。
ちなみに、藤田観光を選んだのも、水球部の先輩に声をかけられたからでした。
そこで入社からの2年間は「箱根小涌園」でみっちり、客室の清掃や布団の上げ下げ、厨房にベルボーイにといろんなことを叩きこまれたそうです。
その後、瀬戸内海の直島の開発を手掛ける大プロジェクトを手掛けたそうですが、大学の「水球部」の先輩に誘われ、4年半で藤田観光を退社されます。
おっ、水球部の先輩がまたもや声をかけてくれたんだね〜。とは言え、大手で仕事も任され始めたのに、1からの起業とはすごい判断だよ。
外食産業への参入!
先輩と株式会社WDIを立ち上げた住谷さんは、そこで
- ボーリング場の経営
- 海外旅行の手配
- ダイヤモンドの輸入販売
- 貸しビル
など手がけられますが、ここで始めたのが「ケンタッキー・フライドチキン」でした。
1972年、ケンタッキー・フライドチキンの六本木店を初オープンさせたんですね。
日本にケンタッキーをオープンさせるにあたっては、あのカーネル・サンダースさんとも直接やりとりをしたとか。
その後、住谷さんは、
などを日本に続々とオープンさせることに尽力。
キッザニアだけでもすげ〜って思ってたけど、その前に、こんだけいろんな有名店を日本に持ってきてた人だったんだね〜
これだけのことができたのも、住谷さん本人は、時代が後押ししてくれ、強運がもたらしたものというふうにもおっしゃっています。
しかし、物事や時代を見定める眼力はもちろん、住谷さんの人柄もあるような気がします。
しなやかだけど、その中にある強さ、みたいな感じでしょうか。
いよいよキッザニア
株式会社WDIを60歳を機に退職した住谷さんは、友人からメキシコに面白い施設があるということを聞きつけたそうです。
ちょうど、シアトルで松井秀喜さんとイチローさんの対決があるということで訪米を企画していたこともあり、その足でメキシコに立ち寄ったそう。
その後は、これまでの経験を生かして、日本にキッザニアを持ち込むことに成功。
現在では、東京・甲子園・福岡の3つがあり、多くの子供たちに親しまれています。
オープンしてもうすぐ17年経つけど、まだまだ人気なんだよね〜。
住谷栄之資の嫁や息子は?
そんな住谷栄之資さん。
子供のための夢のような施設を日本に誕生させたわけですが、自身のご家庭のことが気になります。
しかし、残念ながら、これまでお嫁さんや子供さんについて語られたことがほとんどないようで、探しても見つかりません。
でも、キッザニアのきっかけは「お孫」ちゃんたちらしいから、子供さんは間違いなくいるみたいだね〜
自分の目が確かなのか、海外在住のお孫さん二人を連れて、メキシコのキッザニアを再訪したそうです。
その時、孫二人だけを連れていくのはということで「母親」を連れて行ったとのこと。
ご自分の娘さんなら「娘」といいそうですが、「母親」ということは、息子さんのお嫁さんなのかもしれませんね。
ということは、息子さん夫婦は当時(今も?)海外在住だったということでしょうね。
住谷さんのお子さんなら、そんなグローバルな舞台で働かれているのも納得です。
住谷栄之資の経歴と家族のまとめ
日本にキッザニアを持ち込んだ住谷栄之資さん。
調べてみると、これまで、数々の有名店を日本に展開させた方でした。
そのひとつがケンタッキー・フライドチキンですが、その祖・カーネルおじさんも60を過ぎてケンタッキーを始めたことで有名ですが、住谷さんも定年後にキッザニアを日本に輸入。
そのエネルギーがすごいよね〜。今も80歳なんて年を感じさせないよね〜
ご家族については、一般人ということで明らかにされていませんが、子供さんもグローバルに活躍されていることは間違いなさそう。
父親の後ろ姿を見れば、やはりそうなるでしょうね。
住谷栄之資さんのその生きる姿勢、見習いたいものです。
めざせ、住谷!