
福田和子事件は逮捕から25年以上経っても、みんなの記憶から離れないけど
・福田和子事件とは?
・元扶桑社の平田静子との手記
・福田和子の息子の現在
について書いていくよ。

結論から言うと
・松山ホステス事件から5459日間逃亡を続けた福田和子の事件だよ。
・松山拘置所に収監されている時に自ら書いた「涙の谷」は扶桑社の平田静子と作った本。
・福田和子には4人の子供がいて、特に一番上の息子さんは母親と結びつきも強かったみたい。
福田和子事件とは?
福田和子の事件については、これまで数え切れないほどメディアで取り上げられてきました。
そのたびにいろんな女優さんが福田和子を演じるなど、逮捕から25年以上が経ち、本人が亡くなった今でも、この事件について世間の関心が高いことがうかがえます。
ということで、まずは概要について振り返ってみます。
松山ホステス事件からの5459日の逃亡劇
1948年愛媛県松山市に生まれた福田和子は、34歳の時、同僚のホステスの命を奪いました。
理由は、愛人に貢ぐ金欲しさという身勝手なもの。
命を奪った上、マンションから現金や家具などを同僚の遺体と共に持ち去り、共犯となった夫は逮捕されたものの、福田和子自身はそこから5459日の逃亡劇に出たのです。
その後の福田和子は、

「稀代の悪女」とも言われてたみたいだけど、この事件以前も波乱万丈だったんだよね〜
それまでの福田和子を振り返ると、
- 幼くして両親は離婚
- 高校3年生の1学期で高校を中退
- 17歳の時、付き合っていた男性と強盗に入り服役
- 松山刑務所事件の被害者となる
と、普通では想像しがたいような人生を歩んでいました。

ここまでいろんなことがあったからこそ、今でもメディアに取り上げられることが多いんだろうねぇ
石川の和菓子屋
福田和子のことが語られる上で、はずせないのが石川の和菓子屋のことです。
何度も整形を重ねながら逃亡を繰り返していた福田和子ですが、石川の和菓子屋の主人にみそめられて、店を手伝うまでになります。
それどころか、その主人にも両親にも、自分は京都嵯峨野の旅館の娘だと偽っていたそうです。
客商売にたけていた福田和子のおかげもあって、店は大繁盛。

当時、金沢星陵高校に通っていた松井秀喜さんはこの和菓子屋によく行ってたみたいで「きれいで愛想のいい奥さんだった」って語ってたほどだよ。
そして、店の主人からは正式に結婚を申し込まれますが、素性がバレることを恐れて結婚は渋っていたと言います。
そんな時、福田和子が愛媛から呼び寄せ、自分の甥っ子として働かせていた実の息子の荷物から素性がバレてしまい、和菓子屋は警察に通報。
しかし、福田和子は危機一髪、この窮地を逃げ通します。

後日談によると、もし運良く時効を迎えられていたら、その和菓子屋と結婚するつもりだったらしいよ。
逮捕された福井のおでん屋
時効まであとわずか3週間となった日、福田和子が逮捕されたのは、福井で通い慣れたおでん屋でした。
石川から逃れた福田和子が次に現れたのが、この福井。
時効まであと1年となった時期に、この福井に居着いていたようで、逃亡中の素振りはもちろんなく、なじみの店に通い、町の人達とも近しくし、逮捕の場となったおでん屋も常連の店だったようです。
平田静子との手記
1997年7月、逮捕された福田和子は、松山拘置所に入ります。
ここで出会ったのが、接見に訪れた平田静子さんでした。
フジテレビに入社後、扶桑社に出向となった平田さんは、テレビで福田和子逮捕の様子を見て、つよく興味を持ったそうです。
そして、その好奇心の赴くまま、テレビ局勤務だったという強みを利用して、何とか福田和子に接見するまでにこぎつけます。
そして、福田和子の望みに応えながら、本を送り、手紙を出し、手記の依頼を繰り返したのだそう。
最後は、
「手記を書いて、その印税すべて遺族にお渡しするしか、あなたにできる償いはない」
ヒラタワークス株式会社ホームページより
と提案したところ、快諾。
それから平田さんのもとに届いた分厚い原稿は、一字一句修正する必要のない完璧なものだったそうです。
平田さんいわく、福田和子は「聡明な人」。
本のタイトル「涙の谷 私の逃亡、十四年と十一カ月十日」も福田和子本人がつけたものなのだとか。

結局、獄中で亡くなったけど、平田さんに「出所したら温泉に行きましょうね」と手紙をよこしてたんだってね〜。平田さんもこの言葉は、すごく重く受け止めてたみたいだよ。
福田和子の息子の現在
福田和子には4人の子供がいます。
2人は先の夫、あとの2人は再婚相手との間にできた子供です。(男2人、女2人)
愛媛でホステスとして働いていた頃は、6人で仲良く暮らしていたと言います。
特に目をかけていたのは長男
4人の子供のうち、長男については、特に福田和子も目をかけていたようです。
それは、
- 石川の和菓子屋に呼び寄せて一緒に暮らしていた
- 和菓子屋から逃走した後も長男には連絡を入れていた
- 長男が結婚すると相手も一緒に京都で会うこともあった
- 松山拘置所に収監されていた時は長男宛の遺書を書いていた
- 長男に娘が生まれたときは名付け親となってお宮参りの着物も送ってきた
ということからも理解できます。

長男は母親のことをどう思っていたんだろうね?
他人から見ると、母親と思いたくもない!と言いたくなる気さえしますが、
と、長男は意外な感情を母親に対して持っていたようなんです。

これが親子の愛なのかもしれないね〜
長男の現在は?
家庭環境に翻弄され、母親の影響を大きく受けた長男ですが、その後鉄工所を経営されているというお話もあります。
ただ、そこはあくまでも一般人。お名前も何も公表されていません。
2023年現在だと、そろそろ55歳ぐらいになる年齢。
母親が亡くなった年齢に近づき、何度もメディアで取り上げられる母を思い出し、何を考えておられるのでしょうね。
福田和子事件 | 平田静子との手記と息子の現在についてまとめ
1982年の福田和子事件から長い年月が経ちますが、何度もメディアで語られるこの事件。
福田和子の生い立ちも、5000日を超える逃亡劇も、人の好奇心をつくからこそ、何度も取り上げられているのでしょうね。
扶桑社の元編集長・平田静子さんが出版にこぎつけた手記では、360枚に渡り、福田和子自身の思いが綴られています。
福田和子を語る上では外せないのが、息子の存在ですが、その息子さんの口から語られる母親・福田和子は、事件を起こした人物とはまるで違う人物のようでもあります。
福田和子という人物がいったい本当はどういう人物だったのか。とても興味がありますね。

今となっては、本を読むか、直接福田和子と接した人の話を聞くかしか、それを知る方法はないね〜
皆さんは、福田和子という女性、実はどんな人だったのだと思いますか?